高周波対応材料の誘電損失(誘電正接 tanδ)の算出#

5Gの高度化や6G、ミリ波・テラヘルツ波通信の進展に伴い、基板や封止材などの高周波用材料には、誘電損失(誘電正接:)を極限まで低減することが強く求められています。しかし、tanδ は電磁波エネルギーが格子振動などを介して熱へと散逸する度合いを表す物理量であり、第一原理計算(DFT)が得意とする基底状態の誘電率の実部 と異なり、虚部 を精度良く得るには格子の非調和性を高度に扱う必要があります。本事例では、この誘電損失をシミュレーションから定量的に評価します。まず結晶材料の代表例として酸化マグネシウム(MgO)を取り上げ、第一原理計算ソフトウェア Advance/PHASE を力の評価エンジンとし、フォノン解析パッケージ ALAMODE と連携させて、非調和フォノン理論から tanδ を算出しました。得られた減衰定数・tanδ を、赤外分光・マイクロ波測定の文献値と定量比較します。また、樹脂などの非晶質(アモルファス)材料に対する tanδ の算出法として、分子動力学(MD)による双極子自己相関・久保公式に基づくアプローチを紹介します。
Keywords: 高周波対応材料, 誘電損失, 誘電正接 (tanδ), 第一原理計算 (DFT), フォノン非調和性, ALAMODE, LO-TO分裂, 減衰振動子モデル, 分子動力学 (MD), 久保公式
1. 計算方法:非調和フォノン理論による結晶の tanδ#
MgO(岩塩構造)の Γ 点の赤外活性モードは、3 重縮退した が LO-TO 分裂で横光学(TO, 2 重縮退)と縦光学(LO)に分かれたものです。誘電応答を担う TO 振動子は 1 本なので、複素誘電率は単一の減衰振動子モデル [1] で閉じた形に書けます。
※ 本事例では、振動数は慣用に従い とも記します(上式の と同じ量で、同一単位に揃えれば式は不変)。また複素誘電率の虚部の符号は時間規約に依存し、§4 では と表記していますが、 と はどちらの規約でも共通です。
各量の求め方は次の通りです。
- (Born 有効電荷)と (電子分極による高周波誘電率): いずれも Advance/PHASE の DFT 計算(Berry 位相/誘電率計算)[2] から取得します。
- (Γ 点の TO/LO 振動数): 調和力定数から ALAMODE [3] で算出。振動子強度 は Lyddane–Sachs–Teller(LST)関係に対応し、 が検証できます。
- (TOフォノンの線幅:誘電損失の本体): 3次の非調和力定数から、ALAMODEを用いて3フォノン散乱による温度依存の線幅を計算します。
すなわち、tanδ の大きさを決めるのは非調和フォノン寿命であり、これを第一原理から求める点が本手法の核心です。全体のワークフローを図1に示します。Advance/PHASE を「力の評価」エンジン、ALAMODE を「力定数フィッティング+フォノン物性」エンジンとして連携させ、構造生成から tanδ の算出までを自動化しています。

図1. MgOを例とする結晶材料の tanδ 算出ワークフロー: Advance/PHASE × ALAMODE (alm, anphon)。① 64 原子スーパーセル生成 → ② alm suggest による変位パターン生成 → ③ Advance/PHASE で各変位構造の原子間力を評価 → ④ alm optimize で 2 次・3 次力定数を抽出 → ⑤ anphon RTA で TO フォノン線幅 を算出 → ⑥ DFT 計算による (および )を取り込んで、減衰振動子モデルで ・tanδ を導出。
2. 計算モデルと計算条件#
非調和力定数の抽出には、MgO結晶の慣用立方セル(8 原子)を 2×2×2 に拡張した 64 原子スーパーセル(Mg 32 + O 32)を用いました。力の評価は構造緩和を伴わない 1 ショット SCF で行い、alm suggest が提案した変位パターン(調和 2 パターン+非調和 51 パターン、計 53 構造)に対して DFT計算 を実行します。主な計算条件を表1に示します。
表1. 計算条件の概要
| 項目 | 設定 |
|---|---|
| スーパーセル | MgO 岩塩構造 2×2×2(64 原子) |
| 擬ポテンシャル | O: ウルトラソフト / Mg: ノルム保存 |
| 交換相関汎関数 | GGA (PBE) |
| カットオフ(波動関数 / 電荷密度) | 25 / 230 Rydberg |
| 変位量(調和 / 非調和) | 0.01 / 0.04 Å |
| 3 次力定数カットオフ半径 | 8.0 Bohr |
| フォノン線幅(RTA)q 点メッシュ | 15×15×15、温度 0–1000 K |
| LO-TO 補正 | 非解析項 ON |
MgO は極性結晶であるため、フォノン計算では LO-TO 非解析補正(Born 有効電荷と の入力)が必須です。これを行わないと Γ 点で TO/LO が縮退して振動子強度 となり、tanδ が恒等的にゼロになってしまう点に注意が必要です。
3. 計算結果と考察#
3.1 フォノン分散と LO-TO 分裂#
調和力定数から得た MgO のフォノン分散では、Γ 点で音響 3 分岐がゼロに収束し、光学モードに明瞭な LO-TO 分裂が現れます [2]。この分裂の大きさが振動子強度 (= )を決めます。振動子強度は、リデン–ザックス–テラー(LST)関係式と Born 有効電荷 (原子単位、)の 2 経路で と一致します。
3.2 誘電正接 tanδ とその温度依存#
3 次力定数から anphon RTA で TO フォノン線幅 を求め、減衰振動子モデルに代入して複素誘電率・tanδ を評価しました(図2)。三フォノン散乱の寄与により線幅は温度とともに増大し、これに伴い tanδ も増大します。

図2. MgO の誘電損失(第一原理計算)。(a) TO フォノン線幅 と寿命 の温度依存、(b) 複素誘電率スペクトル(– 間は の Reststrahlen 帯)、(c) tanδ スペクトル、(d) 目標周波数 10 THz における tanδ の温度依存。
表2. MgO の誘電損失の第一原理計算結果(300 K)と実験値
| 量 | 本計算 (PBE) | 実験 [1] |
|---|---|---|
| \(\gamma_{\rm TO}\)(300 K, FWHM) | 14.2 cm−1 | 7.6 cm−1 |
| tanδ (10 THz, 300 K) | 0.14 | —(算出値 0.045) |
※ ここでの 10 THz は TO 共鳴( 11–12 THz)の直下に置いたベンチマーク周波数で、通信帯(サブ THz〜GHz)より高いです。tanδ=0.14 が大きいのは共鳴近傍のためで、MgOを用いた実デバイスの動作帯域(マイクロ波〜ミリ波)では tanδ は桁違いに小さくなります。
3.3 文献との定量比較#
赤外分光(Jasperse 1966 [1])とテラヘルツ分光(Komandin 2009 [4])から得られる減衰定数 、およびマイクロ波測定(Mazierska 2005 [5]、Chen 2010 [6])の tanδ・Q×f と比較しました(図3・表3)。

図3. MgO の誘電損失:第一原理計算と文献の比較。(a) tanδ 広帯域スペクトルと実験値に基づく減衰振動子モデル(Jasperse/Komandin)、(b) TO 線幅 の計算 vs 実測、(c) 虚部 (吸収)。図中の「single xtal」は single crystal の略語。マイクロ波帯の Q×f 比較は表3を参照。
損失の本体である は、実測 6–8 cm−1 に対し計算 14 cm−1 と約 2 倍の過大評価で、これは GGA 由来の の軟化が三フォノン崩壊の位相空間を広げるためと理解できます。温度とともに線幅が増える傾向は実験と一致します。
マイクロ波帯では、真性損失なら tanδ が周波数に比例するため Q×f = f/tanδ が周波数によらずほぼ一定となり、低損失誘電体の標準指標として用いられます。本計算の真性 Q×f を単結晶・多結晶の実測と比較したものを表3に示します。
表3. マイクロ波帯 Q×f の比較(Q×f = f/tanδ、300 K 近傍)
| 試料 / 出典 | 測定条件 | tanδ | Q×f (GHz) |
|---|---|---|---|
| 本計算(真性・単結晶相当) | 300 K, 10 GHz | 2.3×10−5 | 4.3×105 |
| 単結晶(Konaka 1991 [5]) | 300 K, 10 GHz | 2.2×10−5 | 4.5×105 |
| 単結晶(Alford 2001 [5]) | 280 K, 7.5 GHz | 4.5×10−6 | 1.7×106 |
| セラミックス(Chen 2010 [6]) | 室温, 16.4 GHz | 1.4×10−4 | 1.1×105 |
※ Konaka 1991およびAlford 2001の数値はMazierska [5] からの引用。
計算の真性 Q×f = 4.3×105 GHz は、 の過大評価を反映して真性限界に近い高純度単結晶(Alford 1.7×106)より低く見積もられますが、一般的な単結晶(Konaka 4.5×105)とは同等レベルにあり、実用的な目安として文献値とおおむね同オーダーで整合的です。
4. 非晶質材料への展開:分子動力学(MD)による tanδ の算出#
4.1 非晶質材料での課題と実務フロー#
ここまでの手法は、周期的なフォノンが定義できる結晶材料に対して有効です。一方、シクロオレフィンポリマー(COP/COC)やフッ素化ポリイミドといった実用樹脂系高周波材料は非晶質(アモルファス)、フッ素樹脂(PTFE)や液晶ポリマー(LCP)は半結晶性(結晶相と非晶質相が共存)であり、いずれもフォノンバンドの枠組みがそのまま使えません。第一原理計算だけでは、① 散逸過程である虚部 の定量に非調和項の高度な扱いが必要となる、② 巨大アモルファス構造を簡単に再現できない、という 2 つの壁があります。
そこで実務では、分子動力学(MD)を用いて、損失(tanδ)を算出します(図4)。MD計算用の力場(汎用力場、分極力場や専用力場など)は材料に応じて選びます。近年は DFT 精度で長時間 MD を可能にする機械学習ポテンシャルも有力です(双極子モデルの並行学習が必要)。構造は、モノマー重合 → パッキング(packmol [7]など)→ 溶融・急冷(Melt–Quench)で作成し、LAMMPS [8] 等で長時間軌跡を取得します。
4.2 MD による tanδ:双極子自己相関と久保公式#
MD による算出の核心は、線形応答理論(久保公式・揺動散逸定理)に基づき、系全体の双極子モーメント の熱揺らぎから複素誘電率を求める点にあります。MD トラジェクトリの各フレームで を記録し、その自己相関関数(DACF: Dipole Auto-Correlation Function)を計算します。
この相関関数の減衰挙動が、分極が熱揺らぎで記憶を失う過程=誘電緩和(エネルギー散逸)を直接記述します。久保公式に基づき をフーリエ変換すると、複素誘電率 が得られます。実部(cos 変換・同位相成分)はエネルギーを一時的に蓄積する能力=誘電率を、虚部(sin 変換・90 度位相遅れ成分)は分子間の微視的摩擦により熱として散逸する能力=誘電損失を表し、その比が目標周波数(例: 10 THz)での tanδ を与えます。なお 10 THz の電磁波の周期は約 0.1 ピコ秒と極めて短く、この帯域の緩和過程を統計的にノイズなく解析するにはナノ秒スケールの長大な軌跡が必要となるため、古典 MD や機械学習ポテンシャルによる大規模・長時間 MD が不可欠です。

図4. 非晶質材料の tanδ 算出ワークフロー(MD)。① アモルファス構造の作成 → ② 長時間 MD による軌跡取得 → ③ 双極子自己相関関数 → ④ フーリエ変換(久保公式)で複素誘電率 → ⑤ tanδ。
5. 補足:手法の適用範囲と留意点#
本事例で示した 2 つのアプローチは相補的であり、対象材料に応じて使い分けます。
- 結晶(フォノン非調和)法の適用範囲:減衰振動子モデルは TO 共鳴近傍で妥当です。 の Reststrahlen 帯では となり tanδ は意味を持ちません。共鳴から離れた裾では、実際の損失機構(多フォノン差過程など)が単一ローレンツ振動子と異なるため、注意が必要です(Gurevich–Tagantsev 1991 [9]、Komandin 2009 [4])。定量精度を上げるには、より高精度な汎関数、4 次力定数や振動数依存の自己エネルギー の導入などが有効です。
- MD 法の留意点:tanδ の絶対値は力場の分極記述に強く依存します。系によって分極力場や専用力場が必要となり、汎用力場のみでは損失を過小・過大評価し得ます。加えて長時間軌跡(ns 級)と十分なアンサンブル平均が統計精度に必須です。
6. まとめ#
第一原理計算ソフトウェア Advance/PHASE をフォノン解析パッケージ ALAMODE と連携させ、結晶材料 MgO の誘電正接 tanδ を非調和フォノン理論から算出しました。誘電損失の本体である TO 線幅 やマイクロ波帯の単結晶 tanδ とも文献値と整合しました。樹脂などの非晶質材料に対しては、MD による双極子自己相関・久保公式に基づく tanδ 算出が有効です。第一原理計算と分子動力学は、結晶から非晶質まで高周波対応材料の誘電損失を原子レベルで評価し、次世代通信材料の設計を加速する役割が期待されます。
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お問い合わせ参考文献#
- J. R. Jasperse, A. Kahan, J. N. Plendl, and S. S. Mitra, "Temperature Dependence of Infrared Dispersion in Ionic Crystals LiF and MgO", Phys. Rev. 146, 526 (1966).
- LO-TO分裂効果を考慮したフォノンバンドの計算
- T. Tadano, Y. Gohda, and S. Tsuneyuki, "Anharmonic force constants extracted from first-principles molecular dynamics: applications to heat transfer simulations", J. Phys.: Condens. Matter 26, 225402 (2014).
- G. A. Komandin, O. E. Porodinkov, I. E. Spector, and A. A. Volkov, "Multiphonon absorption in a MgO single crystal in the terahertz range", Phys. Solid State 51, 2045 (2009).
- J. Mazierska, D. Ledenyov, M. V. Jacob, and J. Krupka, "Precise microwave characterization of MgO substrates for HTS circuits with superconducting post dielectric resonator", Supercond. Sci. Technol. 18, 18 (2005).
- J.-Y. Chen, W.-H. Hsu, and C.-L. Huang, "Dielectric properties of magnesium oxide at microwave frequency", J. Alloys Compd. 504, 284 (2010).
- L. Martínez, R. Andrade, E. G. Birgin, and J. M. Martínez, "PACKMOL: A package for building initial configurations for molecular dynamics simulations", J. Comput. Chem. 30, 2157 (2009).
- A. P. Thompson et al., "LAMMPS - a flexible simulation tool for particle-based materials modeling at the atomic, meso, and continuum scales", Comput. Phys. Commun. 271, 108171 (2022).
- V. L. Gurevich and A. K. Tagantsev, "Intrinsic dielectric loss in crystals", Adv. Phys. 40, 719 (1991).
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- 第一原理計算ソフトウェア Advance/PHASE
- 解析分野:ナノ・バイオ
- 産業分野:材料・化学