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kMC法との連携による黒鉛負極(Li-GIC)のマクロなリチウム拡散・充放電特性解析#

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リチウムイオン電池の急速充電性能や低温特性を向上させるためには、負極材料(グラファイト:黒鉛)内部でのリチウムイオン拡散現象を正確に把握することが不可欠です。 第一原理計算(DFT)は原子レベルでの局所的な拡散障壁を高精度に予測できますが、実際の電池内で起こる「巨視的な時間・空間スケール」での拡散現象を直接シミュレーションすることは計算コストの観点から困難です。本事例では、第一原理計算ソフトウェアAdvance/PHASEのNEB(Nudged Elastic Band)法によって得られた微視的な活性化エネルギーを、メゾスケール解析手法であるキネティックモンテカルロ法(kMC)に連携させる「マルチスケールシミュレーション」のワークフローをご紹介します。これにより、温度や充電深度(State of Charge; SoC)に依存するマクロなリチウム拡散係数の変化が予測できるようになりました。

Keywords: 第一原理計算(DFT), キネティックモンテカルロ法(kMC), リチウムイオン電池, グラファイト(Li-GIC), マルチスケール連携, Nudged Elastic Band (NEB)法, 拡散係数

解析モデルと計算手法#

1. kMCモデルの理論背景と連携の手順#

キネティックモンテカルロ(kMC)法は、原子のジャンプ(ホッピング)のような確率的な稀なイベントを、物理的に正しい時間発展とともにシミュレーションする手法です。 あるサイト から隣接サイト への遷移速度 は、アレニウスの式に従い以下のように表されます。

ここで、 は試行振動数、 はボルツマン定数、 は絶対温度、そして が活性化エネルギー(拡散障壁)です。本連携解析では、Advance/PHASEを用いて様々な局所構造における を第一原理から算出し [1]、それをkMC上の各サイト間の遷移確率として直接マッピングします。さらに、Rejection-Free kMC(BKLアルゴリズム)[2] を用いることで、系全体の総遷移速度 から、次のイベントが起こるまでの物理的な時間刻み を以下のように動的に決定します。

(※ \(u\) は (0, 1] の一様乱数)

kMCシミュレーションによって各Liイオンが確率的なジャンプを繰り返した後、最終的なマクロ拡散係数 は、以下のアインシュタインの式を用いて算出されます。

ここで、 はすべてのLiイオンがスタート地点からどれだけ移動したか(直線距離の二乗)の平均値である平均二乗変位(MSD: Mean Squared Displacement)です。 は拡散の次元数(本モデルではグラファイト層内の二次元拡散であるため 、分母は になります)、 はシミュレーションで経過した物理的な総時間( の足し合わせ)を表します。この式は、「ミクロなジャンプを繰り返した結果、Liイオンの集団が時間 の間にどれくらい遠くまで散らばったか(MSD)」を測定していることを意味し、目に見えない原子のランダムな動きを、実験で観測可能な巨視的な「拡散係数」へと橋渡しします。

2. 解析モデル:Li-GICの二次元格子とパラメーター設定#

グラファイト層間にインターカレートされたリチウム(Li-GIC)の拡散経路は、炭素六員環のネットワークに拘束された二次元的なホッピングとなります。第一原理計算(NEB法)により、炭素原子層を通り抜ける層間拡散の活性化障壁は7.90 eVと極めて高く、実質的に起こらないことが確認されているため [1]、本モデルでは層内(二次元空間)での拡散のみを考慮しました。図1に、本解析で構築したkMCモデルの模式図を示します。

kMCモデルの模式図
図1. Li-GICにおけるリチウム拡散のkMCモデル模式図。青丸はLiイオン、点線の白丸は空孔(欠陥)を示します。第一原理計算で得られた活性化エネルギーが、各サイト間のジャンプ経路に動的に割り当てられます。

モデル内では、Liイオン(青丸)が隣接する空孔(白丸)へ確率的にジャンプします。この際、DFT計算(NEB法) [1] で判明した「周囲がリチウムで満たされている完全系」で高い拡散障壁(0.44 eV)ではなく、空孔を介した現実的な経路を採用しています。グラファイト中のリチウム拡散が空孔を介して進行し、多段階のステップを経ることで拡散障壁が低下するというメカニズムは、Toyouraらによる第一原理計算の先行研究 [3] とも一致する妥当なモデルです。 具体的には、「隣接する空孔が1つのみの孤立空孔」へのジャンプ障壁(0.37 eV)と、「隣接サイトに複数の空孔が存在する(または連続的なジャンプ)」場合の低い拡散障壁(0.17 eV)を、局所的な配置に応じてルールベースで適用します。

表1に、DFTから取得しkMCモデルへ入力した具体的な連携パラメータを示します。

表1. マルチスケール連携パラメータ設定

カテゴリー パラメータ 設定値と物理的根拠(文献値・DFT算出値)
格子・振動
(文献値準拠)
ホッピング距離 () 2.46 × 10-8 cm
(純粋な黒鉛の面内格子定数に基づく [3])
試行振動数 () 1.0 × 1013 s-1
(フォノン計算から得られる典型的なLiの格子振動数 [3])
拡散障壁
(Advance/PHASE)
孤立空孔へのジャンプ () 0.37 eV
(隣接する空孔が1つのみの場合のNEB計算結果 [1])
複数空孔・連続ジャンプ () 0.17 eV
(隣接サイトに複数の空孔が存在する場合、または連続的なジャンプ時のNEB計算結果 [1])

シミュレーションの実行条件:
kMC法は確率的なランダムウォークのシミュレーションであるため、得られる結果には統計的な揺らぎ(ノイズ)が含まれます。本解析では、計算領域を サイト)、1回あたりのジャンプ回数を10000回に設定し、異なる乱数シードを用いて複数回の独立したシミュレーションのアンサンブル平均(Ensemble average)を取得・プロットする手法を採用しています。

シミュレーション結果#

1. マクロな拡散係数の温度依存性(アレニウスプロット)#

構築したkMCモデルを用いて、温度を 250 K から 400 K まで変化させた際のマクロな拡散係数 を算出しました。図2にそのアレニウスプロットを示します。

kMCによる温度依存性のグラフ
図2. kMC解析から得られたマクロ拡散係数の温度依存性。高SoC(青線)と低SoC(赤破線)での比較。

考察:
フル充電に近い状態(SoC 95%、青線)では、空孔が極めて少ないため、孤立空孔へのジャンプが主となり、高い障壁( = 0.37 eV)を乗り越えるイベントが律速となってグラフの傾きが急になっています。一方、放電が進行した状態(SoC 50%、赤破線)では、隣接する複数の空孔を介した低い障壁( = 0.17 eV)での高速な連続拡散経路が機能するため、グラフ全体が上方にシフトし、傾きも緩やかになっています。この結果は、「低温環境下では、SoCが高い状態(満充電付近)ほど拡散抵抗が劇的に増大し、急速充電性能が低下する」という実験的に知られるマクロな電池特性を、原子レベルの第一原理計算から定量的に再現できたことを意味します。

2. 拡散係数のリチウム濃度(SoC)依存性#

次に、室温(300 K)において、電池の充電深度(SoC)に対するマクロ拡散係数の変化をシミュレーションした結果を図3に示します。

kMCによるSoC依存性のグラフ
図3. kMC解析から得られたマクロ拡散係数のSoC(リチウム濃度)依存性。

考察:
グラフ左側(SoCが100%に近い領域)では、リチウムイオンが密集しており、移動するための「空きスペース(空孔)」が不足しているため、拡散係数が数桁にわたって急激に落ち込んでいます。SoCが下がり(図の右方向)、格子内に十分な空孔が生成されると、連鎖的なホッピングが容易になり、拡散係数は高い値でプラトー(平坦)に達します。この非線形な拡散挙動の予測は、連続体モデル(Fickの法則に基づく単純な拡散方程式)では再現が難しく、微視的な粒子間の相互作用とエネルギー障壁の差を考慮できるkMC法ならではの成果です [4]。

3. 巨視的イオン伝導度への展開と実験値とのリンク#

実際の電池材料設計において、拡散係数 と並んで性能の指標となるのが「イオン伝導度 」です。固体中のイオン伝導度は、Nernst-Einstein(ネルンスト・アインシュタイン)の関係式により、拡散係数と以下のように結びついています。

ここで、 はキャリア(可動リチウムイオン)の体積密度、 はイオンの電荷(リチウムの場合は素電荷 )です。 この式から分かるように、同一温度・同一濃度条件において、イオン伝導度 はマクロ拡散係数 に直接比例します。したがって、図2や図3で示された「低温での急激な落ち込み」や「高SoC領域での非線形な拡散阻害」といった振る舞いは、そのままマクロな電池の内部抵抗(DC-IR)の増大として観測されることになります。

まとめ#

本事例では、Advance/PHASEを用いた第一原理計算(NEB法による局所活性化エネルギーの算出)と、統計力学に基づくキネティックモンテカルロ法(kMC)をシームレスに連携させました。その結果、原子スケールでの「空孔の有無による拡散障壁の変化」という微視的メカニズムが、電池全体のマクロな「温度特性」や「充電深度(SoC)依存の非線形なイオン伝導度」としてどのように発現するかを定量的に予測できました。このような「DFT × kMC」のマルチスケールアプローチは、黒鉛負極に限らず、全固体電池の固体電解質や新規正極材料の開発において、実験に先立ってマクロな材料性能(イオン伝導度や急速充電の可否)をスクリーニングするための有効な手法となります。

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参考文献#

  1. Advance/PHASEを用いたイオン拡散経路のシミュレーション: NEB法・FIREアルゴリズム
  2. A. B. Bortz, M. H. Kalos, and J. L. Lebowitz, "A new algorithm for Monte Carlo simulation of Ising spin systems", J. Comput. Phys. 17, 10 (1975).
  3. K. Toyoura, Y. Koyama, A. Kuwabara, F. Oba, and I. Tanaka, "First-principles approach to chemical diffusion of lithium atoms in a graphite intercalation compound", Phys. Rev. B 78, 214303 (2008).
  4. A. Van der Ven and G. Ceder, "Lithium diffusion in layered LixCoO2", Electrochem. Solid-State Lett. 3, 301 (2000).

関連ページ#