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遷移金属およびその化合物表面のXPSシミュレーション#

X線光電子分光(XPS)は、物質表面の元素組成や化学結合状態を分析するための強力な実験手法です。特に、表面原子の内殻準位がバルク原子と比べてエネルギー的にシフトする現象「表面コアレベルシフト(SCLS)」は、表面の電子状態や構造に関する詳細な情報を提供します。本解析では、第一原理計算ソフトウェアAdvance/PHASEを用い、遷移金属およびその化合物表面におけるSCLSを理論的に再現し、実験結果との比較を通じてその有効性を検証します。

Keywords: 第一原理計算, XPS, 表面コアレベルシフト (SCLS), Pd, Rh, NbB₂, ZrB₂

理論背景(計算方法)#

XPSでは、X線を物質に照射し、放出される光電子のエネルギーを測定します。このエネルギーは、原子の内殻準位の深さに依存します。同じ元素でも、原子が置かれている化学的環境(表面か内部かなど)によって内殻準位はわずかに変化し、このエネルギーのずれがコアレベルシフトとして観測されます。

第一原理計算でCLSを正確に求めるには、光電子放出後の「終状態」、すなわち内殻に電子の空孔(内殻正孔)が生じた状態をシミュレートする必要があります。価電子のみを扱う通常の擬ポテンシャル法では、この内殻状態を直接計算できません。そこでAdvance/PHASEでは、終状態の全エネルギー差からCLSを算出するアプローチ()を採用しています [1]。

この手法では、まず内殻正孔の効果を取り込んだ特殊な擬ポテンシャルを、擬ポテンシャル作成ツールAdvance/CIAOを用いてあらかじめ作成しておきます。計算手順としては、最初に通常の手法で系の構造を完全に最適化します。次に、その固定された原子座標上で、注目する原子(表面原子やバルク原子)の擬ポテンシャルを内殻正孔擬ポテンシャルに一つずつ置き換え、それぞれの系の全エネルギーを計算します。これらのエネルギーの差をとることで、高精度なSCLSが得られます。

解析結果と考察#

パラジウム (Pd) 表面#

触媒材料としても重要なパラジウム(Pd)について、低指数表面である(100), (110), (111)面のSCLSを計算しました。図1に各表面におけるSCLSの深さ依存性を示します。

図1. Pd(100), (110), (111)表面におけるSCLSの深さ依存性

図1から、全ての表面で最表面の原子(距離0 Å)が負のSCLSを示すことがわかります。これは、表面原子がバルク内部の原子よりも隣接する原子の数(配位数)が少なく、電子状態が変化するために生じます。面心立方格子(FCC)金属において、SCLSの値は、原子の充填密度に依存し、最も充填密度の低い(110)面で最大となり、最も密な(111)面で最小となる傾向があります。また、表面から内部に入るにつれてSCLSは急速に0に近づき、この効果が表面数層に限定されていることが確認できます。

表1に最表面のSCLS計算値と実験値、および他の理論計算(FLAPW)[2] との比較を示します。

表1. Pd最表面原子のSCLS比較 [eV]

表面 実験 FLAPW PHASE
(110) -0.55 -0.43 -0.43
(100) -0.44 -0.33 -0.32
(111) -0.28 -0.30 -0.28

Advance/PHASEによる計算結果は、実験値や他の理論計算結果と概ね良好な一致を示しており、本手法の妥当性が確認できました。

ロジウム (Rh) 表面#

次に、ロジウム(Rh)の(100), (110), (111)表面について同様のSCLS解析を行いました。

図2. Rh(100), (110), (111)表面におけるSCLSの深さ依存性

表2にRhの最表面SCLSの計算結果を示します。

表2. Rh最表面原子のSCLS比較 [eV]

表面 実験 FLAPW PHASE
(110) -0.64 -0.63 -0.71
(100) -0.62 -0.64 -0.64
(111) -0.50 -0.42 -0.42

Rhにおいても、SCLSの大きさはPHASEの計算結果・実験値[2]ともに(110) > (100) > (111) の順となりました。これは、原子の充填密度が最も低い(110)面のシフトが最大となるFCC金属の典型的な傾向をよく再現しています。(100)面と(111)面では、他の理論計算 [2] とも整合性の高い結果が得られています。

遷移金属ダイボライド (NbB₂, ZrB₂)#

硬質材料などに応用される遷移金属ダイボライドについて、NbB2および ZrB2の(0001)表面におけるSCLSを解析しました。対象としたのはB原子の1s軌道からの光電子放出です。

図3. 遷移金属ダイボライドの結晶構造例 (上:NbB2, 下:ZrB2)。「B1」は内殻正孔を導入したB原子を示します。

NbB2と ZrB2は類似の層状構造をとりますが、計算モデルでは表面の終端原子が異なります( ZrB2は遷移金属終端)。図4に両者のSCLS計算結果を示します。

図4. NbB2およびZrB2(0001)表面におけるB 1sのSCLS

図4の結果は非常に対照的です。NbB2では最表面のB原子が-1.74 eVという非常に大きな負のシフトを示すのに対し、 ZrB2の表面B原子のシフトは-0.1 eV以下とごくわずかです。

この対照的な結果は、両者の表面構造の違いに起因します。NbB2ではB原子が最表面に露出した構造をとるため、バルク内部に比べて配位環境が劇的に変化し、電子状態が大きく変わります。その結果、-1.74 eVという非常に大きなSCLSが観測されます。一方、ZrB2はZr原子が最表面となる構造であり、B原子の層はその内側に位置します。そのため、表面のB原子でも化学的な環境はバルクと大きくは変わらず、SCLSはごくわずかになります。

表3. ダイボライド表面B原子のSCLS比較 [eV]

実験 FLAPW PHASE
NbB2 -1.6 -1.85 -1.74
ZrB2 0 - -0.1 以下

Advance/PHASEの計算結果は、NbB2の大きなコアレベルシフトと、ZrB2ではシフトがほとんどないという実験結果 [3] の傾向を再現できており、表面構造や組成の違いが電子状態に与える影響を正確に捉えていることがわかります。

まとめ#

本解析では、第一原理計算ソフトウェアAdvance/PHASEを用いて、Pd、Rh、および遷移金属ダイボライド(NbB2, ZrB2)の表面コアレベルシフト(SCLS)を計算しました。いずれの系においても、終状態法に基づくSCLS計算は実験結果や他の理論計算と良好な一致を示しました。

参考文献#

  1. E. Pehlke and M. Scheffler, Phys. Rev. Lett. 71, 2338 (1993).

  2. J. N. Andersen et al., Phys. Rev. B 50, 17525 (1994).

  3. Takashi Aizawa, Shigeru Suehara, Shunichi Hishita, and Shigeki Otani, Phys. Rev. B 71, 165405 (2005).

関連ページ#