相対論効果による半導体価電子帯の分裂の解析#
半導体材料の性能を決定づける電子物性を理解する上で、その根源である電子バンド構造の解明は不可欠です。特に、ガリウムヒ素(GaAs)のように比較的重い元素から構成される材料では、スピン軌道相互作用(SOI)と呼ばれる相対論的効果が無視できなくなります。この相互作用は、主に価電子帯上端の縮退を解き、バンド構造を変化させます。その結果、バンドギャップ、光学特性、キャリアの有効質量といった物性値も影響を受けます。したがって、これらの材料を用いた半導体デバイスの精密な設計・開発には、SOIを考慮した理論計算が重要となります。本解析では、第一原理計算ソフトウェアAdvance/PHASEを用い、代表的な半導体であるGaAsを例として、スピン軌道相互作用が価電子帯に与える影響を解析します。
Keywords: 第一原理計算, 相対論効果, スピン軌道相互作用, バンド構造, ガリウムヒ素(GaAs)
計算手法#
スピン軌道相互作用を取り入れたバンド計算は、Advance/PHASEの「相対論ekcal」機能を用いて行います。この手法は、まずスピン軌道相互作用を含まないスカラー相対論計算を実行し、その結果を基底として事後的にスピン軌道相互作用の効果を補正として加える、効率的なアプローチです。
具体的には、スピン軌道相互作用を考慮しない計算で得られたエネルギー固有値 と波動関数(固有状態) を用いて、スピン軌道相互作用ハミルトニアン を含む以下のハミルトニアン行列を各点毎に構築します。
この行列 を対角化することで、スピン軌道相互作用によって補正された新しいエネルギー固有値が得られます。
計算モデル#
結晶構造とk点経路#
計算対象のGaAsは、代表的な閃亜鉛鉱(Zincblende)型構造をとります。図1にその構造を視覚的に分かりやすい従来単位格子(Conventional Cell)で示します。
バンド構造計算では、基本単位格子(図2)を使用します。これは単に原子数が少なく計算効率が良いというだけでなく、結晶本来の周期性を正しく反映したバンド構造を得るために不可欠だからです。もし従来単位格子で計算すると、バンドが人為的に折り畳まれ(バンドフォールディング)、分散関係の解釈が困難になります。そのため、本解析では2原子を含む基本単位格子を用いました。


バンド構造を描画するためのk点経路は、第一ブリルアンゾーン(FBZ)内の高対称点を結ぶように設定しました(図3)。この経路 (L-Γ-X-K-Γ) は、参考文献[1]と同一であり、結果を直接比較することが可能です。
図3. 第一ブリルアンゾーン(FBZ)とバンド計算のk点経路
計算結果と考察#
図4と図5に、それぞれスピン軌道相互作用を「考慮しない場合」と「考慮した場合」のバンド構造を示します。


両者を比較すると、スピン軌道相互作用の効果は価電子帯上部に最も顕著に現れます。
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価電子帯の分裂: 図4(SOIなし)では、価電子帯の最上部はΓ点で3重に縮退しています。これに対し図5(SOIあり)では、この縮退が解け、重い正孔(heavy hole)・軽い正孔(light hole)バンドと、それらからエネルギー的に分離したスプリットオフ(split-off)バンドの2グループに分裂していることが明瞭に確認できます。
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スプリットオフエネルギー: この分裂のエネルギー幅はスプリットオフエネルギー()と呼ばれ、図5のΓ点から約0.34 eVと読み取れます。この値は実験値や参考文献[1]で報告されている値と非常によく一致しており、本計算手法の定量的な信頼性を示しています。
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他の対称点: Γ点だけでなく、L点やX点付近でもバンドの分裂が確認でき、バンド構造全体に影響が及んでいることがわかります。
このように、バンド構造、特に価電子帯の分裂を正確に記述することが、半導体の光物性などを正しく予測する上での鍵となります。
まとめ#
本解析では、第一原理計算ソフトウェアAdvance/PHASEを用いて、半導体GaAsの価電子帯がスピン軌道相互作用という相対論効果によって分裂する現象をシミュレーションしました。計算結果は、縮退していたバンドが分裂する様子を明確に示し、その分裂エネルギーは実験値ともよく一致しました。このことは、本手法が半導体の電子物性を支配する物理現象を正確に捉える上で有効であることを示しています。例えば、ファンデルワールス力が分子の吸着現象で重要になるのと同様に、重元素を含む系では相対論効果の考慮が物性予測の精度を左右する重要な要素となります。
参考文献#
- J. R. Chelikowsky and M. L. Cohen, Physical Review B 14, 556–582 (1976).
関連ページ#
- 第一原理計算ソフトウェア Advance/PHASE
- 解析分野:ナノ・バイオ
- 産業分野:材料・化学