ルチル型酸化物におけるd電子占有数と物性の相関:TiO2, VO2, RuO2の第一原理計算#

遷移金属酸化物は、d電子の振る舞いによって絶縁体から超伝導体まで多彩な物性を示します。特にルチル(Rutile)型構造を持つ一連の酸化物は、結晶構造が共通でありながら、中心金属元素の置換によりd電子の数(フィリング)を制御することで、バンド絶縁体から金属、磁性体へと劇的に性質が変化します。本解析では、第一原理計算ソフトウェアAdvance/PHASEを用い、d電子数()が異なる3種類のルチル型酸化物、TiO2 ()、VO2 ()、RuO2 () の電子状態解析を行いました。状態方程式(EOS)による結合特性の評価、および状態密度(DOS)・バンド構造・電荷密度分布の解析を通じて、d電子の占有数が電気伝導性や化学結合の性質(イオン性・共有結合性)に与える影響を包括的に評価し、マクロな物性の起源を微視的な電子状態の観点から明らかにします。
Keywords: 第一原理計算, DFTシミュレーション, ルチル構造, 状態方程式(EOS), 体積弾性率, 状態密度(DOS), バンド構造, TiO2, VO2, RuO2
計算モデルと計算条件#
計算には、ウルトラソフト擬ポテンシャル法および一般化勾配近似(GGA-PBE)を用いました。対象とした系は以下の通りです。
- TiO2:
- VO2 (高温ルチル相):
- RuO2:
なお、VO2は強相関電子系として知られ、低温では電子相関に起因する単斜晶への構造歪み(パイエルス転移)が生じますが、本計算ではd電子本来のバンド形成を比較するため、高温相である理想的な正方晶ルチル構造を採用しています。金属的な高温相の記述においては、標準的なGGA(PBE)を用いても定性的に妥当な電子状態が得られることが知られています。また、本解析では、実用的な材料設計における計算効率(ハイスループット性)を重視し、ウルトラソフト擬ポテンシャルの収束性の良さを活かしたカットオフエネルギー(25-30 Ry)を採用しました。
表1. 計算条件の概要
| 項目 | 設定 |
|---|---|
| 擬ポテンシャル | ウルトラソフト擬ポテンシャル |
| 交換相関汎関数 | GGA (PBE) |
| カットオフエネルギー | 25 ~ 30 Rydberg |
| k点メッシュ (SCF計算) | TiO2: 3x3x5 VO2, RuO2: 7x7x10 |
| k点メッシュ (DOS計算) | TiO2: 10x10x15 VO2: 20x20x30, RuO2: 15x15x22 |
計算結果と考察#
1. 構造最適化と状態方程式 (EOS)#
まず、各物質の平衡格子定数と結合の硬さ(剛性)を評価するため、体積に対する全エネルギー変化(Equation of State: EOS)を計算しました。ルチル型構造が正方晶(tetragonal)系であるので、体積を変えるごとに、内部座標とセルの形状()を緩和計算させてエネルギーを求めました。得られたエネルギー対体積曲線を図1に、Birch-Murnaghanの状態方程式を用いて算出した平衡格子定数と体積弾性率を表2に示します。
図1. (上から) TiO2, VO2, RuO2のエネルギー対体積曲線。横軸のvolumeは慣用セルあたりの体積です。Birch-Murnaghanの状態方程式を用いてフィッティングしています。
表2. 計算された平衡格子定数と体積弾性率
| 物質 | d電子数 | a [Å] | c [Å] | B [GPa] |
|---|---|---|---|---|
| TiO2 | 4.66 | 2.97 | 203 | |
| VO2 | 4.61 | 2.77 | 229 | |
| RuO2 | 4.53 | 3.11 | 255 |
エネルギー対体積曲線の曲率(グラフの放物線の鋭さ)は体積弾性率()に対応します。計算結果より、RuO2 () が最も高い体積弾性率(255 GPa)を示しました。これは、TiO2が比較的イオン性が強い結合を持つのに対し、RuO2ではRu-4d軌道とO-2p軌道の混成による強い共有結合ネットワークが形成されていることを示唆しています。EOS解析から得られたこの結合性の違いは、後述する電子状態の解析結果ともよく整合します。
図2. 最適化したルチル型酸化物の結晶構造(ボール&スティックモデル)。
2. 電子状態密度 (DOS) とバンド構造#
図3にTiO2, VO2, RuO2のバンド構造および状態密度(DOS)を示します。d電子数の増加に伴い、フェルミ準位(, 点線)とバンドの位置関係が劇的に変化していることが分かります。
図3. (左) バンド構造、(右) 状態密度(DOS)。上段から順に TiO2, VO2, RuO2。エネルギー原点はフェルミ準位に設定。
- TiO2 (バンド絶縁体): フェルミ準位近傍に状態が存在せず、明確なバンドギャップが確認されます。バンドギャップの計算値(約1.77 eV)は実験値(約3.0 eV)に比べて小さくなっていますが、これはDFT(GGA)特有のバンドギャップ過小評価(Underestimation)によるものです。価電子帯は主にO-2p軌道、伝導帯は主にTi-3d軌道で構成されており、典型的な 電子配置による絶縁体特性自体は正しく再現されています。これらの特徴は、文献 [1] の先行研究の結果と良く一致しています。
- VO2 (狭帯域金属): フェルミ準位が伝導帯の底(bottom)をわずかに横切っています。これは、d軌道に電子が1つだけ入った状態()に対応します。O-2pバンドとV-3dバンドの間にはエネルギーギャップが存在しており、イオン的な性質を残しつつ、少量のd電子によって電気伝導が生じる「狭帯域金属」の特徴を示しています。この電子状態は、文献 [2] のバンド理論的アプローチ [2] で議論されている高温相の特徴を再現しています。
- RuO2 (広帯域金属): フェルミ準位がバンド幅の広いdバンドの中央付近に位置しており、高い状態密度を持っています。TiO2やVO2で見られたO-2pと金属-d軌道の間のギャップは消失し、強い混成(共有結合性)によって連続的なバンドが形成されています。EOS計算で確認された高い弾性率は、この強い共有結合性に由来しており、文献 [3] で報告されている特性とも整合します。
3. フェルミ準位近傍の電子分布(部分電荷密度)#
物性(電気伝導や結合)を決定づける最外殻の電子状態を可視化するため、フェルミ準位直下のエネルギー範囲 における部分電荷密度分布を図4に示します。
図4. エネルギー範囲 [-0.2, 0] eV における部分電荷密度分布(等値面)。左から: TiO2, VO2, RuO2。
このエネルギー範囲の電子分布は、3物質の本質的な違いを浮き彫りにします。
- TiO2 (イオン性): 電荷はほぼ完全に酸素原子上に局在しています。これは価電子帯の頂上が非結合性の酸素2p軌道で構成されており、Tiサイトへの電荷寄与が皆無()であることを視覚的に裏付けています。
- VO2 (d軌道の局在性): 電荷密度はバナジウム(V)原子上に集中し、特徴的なd軌道の形状(クローバー型)を示しています。図4に示していませんが、等値面の閾値(isovalue)をさらに下げて詳細に見ると酸素(O)原子のp軌道成分との混成もわずかに確認でき、V-O間に共有結合性(軌道混成)が存在することも示唆されています。
- RuO2 (共有結合性・遍歴性): 電荷はRu原子上だけでなく、Ru-O結合間、さらにはRu原子間にも広く分布しています。Ru-4d軌道とO-2p軌道が強く混成して「電子の橋」を形成しており、EOS解析で示された高い剛性(体積弾性率)の微視的な起源が、この共有結合ネットワークにあることが分かります。
まとめ#
本解析では、第一原理計算ソフトウェアAdvance/PHASEを用いて、ルチル型酸化物におけるd電子数と物性の相関を解析しました。EOS解析からは、d電子数の増加()に伴って体積弾性率が増大し、特にRuO2で顕著な共有結合性の強化が確認されました。また、電子状態解析においては、系のTiO2がイオン性絶縁体、系のVO2がd軌道の局在性を残した狭帯域金属、そして系のRuO2がp-d混成による広帯域金属であることが、DOSおよび部分電荷密度分布から明らかになりました。これらの結果は、単なる結晶構造の違いだけではなく、微視的なd電子のフィリングと軌道混成が、マクロな物性(硬さや電気伝導性)を支配していることを実証するものです。
参考文献#
- K. M. Glassford and J. R. Chelikowsky, "Structural and electronic properties of titanium dioxide", Phys. Rev. B 46, 1284 (1992).
- V. Eyert, "The metal-insulator transitions of VO2: A band theoretical approach", Ann. Phys. (Leipzig) 11, 650 (2002).
- K. M. Glassford and J. R. Chelikowsky, "Electronic and structural properties of RuO2", Phys. Rev. B 47, 1732 (1993).
関連ページ#
- 第一原理計算ソフトウェア Advance/PHASE
- 解析分野:ナノ・バイオ
- 産業分野:材料・化学