第一原理計算による半導体材料の電子有効質量の予測と精度検証#
半導体中のキャリア(電子)の振る舞いを決定づける「有効質量」は、デバイス性能を左右する極めて重要な物理量です。しかし、その値を実験で精密に測定することは容易ではありません。本解析では、第一原理計算ソフトウェアAdvance/PHASEを用いて各種半導体材料の電子有効質量を算出し、実験値と比較することで、第一原理計算の予測精度と実用性を検証します。
Keywords: 第一原理計算, 電子有効質量, k·p摂動法, 半導体, Si, GaN
電子有効質量とは#
真空中の電子が持つ不変の質量(静止質量)とは異なり、電子有効質量は、結晶という周期的な原子配列の中で電子が振る舞う「見かけ上の質量」を指します。結晶中では、電子は原子核が作る周期的な電場と相互作用しながら運動します。この相互作用が電子の動きやすさに影響を与え、あたかも質量が変化したかのように見えるのです。
この現象は、空気中でボールを投げるのと水中で投げるのを比べるアナロジーで理解できます。水中では水の抵抗によってボールが「重く」感じられるように、結晶中の電子も周囲との相互作用によって「軽く」なったり「重く」なったりします。
物理的には、電子有効質量はエネルギーバンド(E-k分散関係)の曲率によって厳密に定義されます [1]。バンドの底付近の曲がり方が急であれば有効質量は小さく(軽く)、曲がり方が緩やかであれば有効質量は大きく(重く)なります。その関係は以下の数式で与えられます。
この有効質量は、半導体デバイスの性能を左右するキャリア移動度を決定づけるため、材料設計において極めて重要なパラメータとなります。
計算方法と条件#
電子有効質量の計算は、以下の2段階のプロセスで行いました。
- SCF計算: まず、通常のSCF(自己無撞着場)計算を実行し、系の電荷密度を精密に収束させます。
- 有効質量計算: 次に、得られた電荷密度を固定した状態で、k·p摂動法 [2] に基づいて電子有効質量を算出します。これは、バンド構造の基準点(k点)周りでのエネルギーの振る舞いを摂動論に基づき効率的に計算する手法です。
計算の信頼性を担保するため、k·p摂動法で必要となる振動子強度の総和が理論値である1に近づくよう、k点サンプリングとバンド数を十分に確保する必要があります。
本解析で用いた主な計算条件はSiを例として表1に示されています。擬ポテンシャルは、ノルム保存もしくはウルトラソフト擬ポテンシャルを使用しました。格子定数は、計算セル自動最適化により求められ、実験値との良好な一致(多くの材料において実験値との誤差が1.5%以内)を示しました。
表1. 主な計算条件 (Siの事例)
項目 | 設定 |
---|---|
共通設定 | |
交換相関汎関数 | GGA (PBE) |
擬ポテンシャル | ノルム保存擬ポテンシャル |
波動関数カットオフ | 25 Rydberg (約340 eV) |
個別設定 | |
k点サンプリング | SCF計算: 4x4x4, 有効質量計算: 10x10x10 |
バンド数 | SCF計算: 8, 有効質量計算: 120 |
有効質量計算手法 | k·p摂動法 |
計算結果と考察#
IV族単体半導体#
まず、代表的なIV族単体半導体であるシリコン(Si)、ダイヤモンド(C)、ゲルマニウム(Ge)について計算を行いました。
シリコン(Si)の計算結果は、表2に示す通り、実験値 [3]と驚くほどよく一致しました。縦有効質量、横有効質量ともに誤差は1%未満であり、本手法がSiの有効質量を極めて高い精度で予測できることを示しています。
表2. Siの電子有効質量 (単位: )
計算値 | 実験値 | 誤差 (%) | |
---|---|---|---|
(縦) | 0.971 | 0.98 | 0.89 |
(横) | 0.191 | 0.19 | 0.64 |
一方、ダイヤモンド(C)では、表3のように計算値と実験値 [3]の間に20%を超える系統的なずれが見られました。
表3. C (ダイヤモンド)の電子有効質量 (単位: )
計算値 | 実験値 | 誤差 (%) | |
---|---|---|---|
(縦) | 1.722 | 1.4 | 23.02 |
(横) | 0.283 | 0.36 | 21.48 |
また、ゲルマニウム(Ge)については、計算の結果、バンドギャップがゼロ(金属的)と算出されたため、伝導帯の底が存在せず、有効質量を計算することができませんでした。
III-V族およびIV族化合物半導体#
次に、より多様な化合物半導体について計算を行いました。
窒化ガリウム (GaN) は、表4に示すようにΓ点における有効質量 が実験値 [3] と誤差1%未満という非常に高い精度で一致しました。
表4. GaNの電子有効質量 (単位: )
計算値 | 実験値 | 誤差 (%) | |
---|---|---|---|
0.201 | 0.2 | 0.255 |
AlP、GaP、3C-SiCやGeSiについても、表5に示す通り、誤差が比較的小さく、目的と要求される精度によっては定量的な評価が可能であるという結果が得られました。ただし、GeSiに対して、ここではGe:Si = 1:1の閃亜鉛鉱型構造 [4] を計算しました。
表5. AlP, GaP, 3C-SiCおよびGeSiの電子有効質量 (単位: )
材料 | 有効質量 | 計算値 | 実験値 | 誤差 (%) |
---|---|---|---|---|
AlP | 0.803 | 0.90 | 10.83 | |
0.265 | 0.30 | 11.80 | ||
GaP | 1.259 | 1.12 | 12.45 | |
0.254 | 0.22 | 15.24 | ||
3C-SiC | 0.657 | 0.68 | 3.43 | |
0.226 | 0.25 | 9.64 | ||
GeSi | 1.054 | 0.92 | 14.56 | |
0.192 | 0.19 | 1.17 |
しかし、表6に示すように、他の化合物半導体では、実験値との間に大きな乖離が見られました。特に、4H-SiCと6H-SiCでは、縦有効質量に比べて横有効質量の誤差が目立ちます。
表6. その他の化合物半導体における計算誤差の例
材料 | 有効質量 | 計算値 () | 実験値 () | 誤差 (%) |
---|---|---|---|---|
AlAs | 0.88 | 1.5 | 41.34 | |
0.243 | 0.19 | 27.88 | ||
4H-SiC | 0.302 | 0.29 | 4.18 | |
0.552 | 0.42 | 31.37 | ||
6H-SiC | 0.232 | 0.2 | 16.42 | |
1.976 | 1.36 | 44.47 | ||
InP | 0.038 | 0.08 | 52.63 |
考察:なぜ計算精度が物質に依存するのか?#
本解析で明らかになった計算精度の物質依存性は、主に以下の二つの要因に起因すると考えられます。
- 交換相関汎関数の限界: 計算に用いたGGA (PBE) は、多くの系で有効ですが、バンドギャップを過小評価するという既知の傾向があります。バンドギャップの精度は有効質量の計算精度に直接影響します。
- 物質固有の電子構造の複雑さ: d電子が関与するバンドなど、物質が持つ複雑な電子状態を、現在の計算手法で完全に再現することは困難な場合があります。
この結果は、第一原理計算が万能ではないことを示す一方で、その限界を理解した上で利用すれば、依然として強力なツールであることを意味します。絶対値の予測精度に課題がある場合でも、異なる材料間での相対的な比較や、物性の定性的な傾向を把握する上では非常に有益な知見を提供します。また、より高精度な計算手法であるハイブリッド汎関数などを用いれば、バンドギャップの記述が改善され、有効質量の予測精度も向上することが期待されます [5]。
まとめ#
本解析では、第一原理計算ソフトウェアAdvance/PHASEを用い、多岐にわたる半導体材料の電子有効質量を計算しました。その結果、SiやGaN、3C-SiCなどの重要な材料については、実験値をよく再現できる高い予測精度を持つことが確認されました。一方で、多くの材料ではGGA汎関数に起因するバンドギャップの過小評価や物質固有の複雑な電子構造などの原因で、計算値に実験値との系統的なずれが見られました。これらの計算結果は、材料のスクリーニングや物性の定性的な傾向を把握する上で有用な知見となります。第一原理計算を半導体材料の設計や評価に活用する際には、その適用範囲と目的に応じた手法の選択が重要です。
参考文献#
- S. M. Sze, Y. Li, and K. K. Ng, Physics of Semiconductor devices, John Wiley & Sons, 2021.
- J. M. Luttinger and W. Kohn, "Motion of electrons and holes in perturbed periodic fields", Phys. Rev. 97, 869 (1955).
- M. Levinstein, S. Rumyantsev and M. Shur, Handbook Series on Semiconductor Parameters, World Scientific, 1999.
- U. Schmid, N. E. Christensen, and M. Cardona, "Relativistic band structure of Si, Ge, and GeSi: Inversion-asymmetry effects", Phys. Rev. B 41, 5919 (1990).
- Y. S. Kim, K. Hummer, and G. Kresse, "Accurate band structures and effective masses for InP, InAs, and InSb using hybrid functionals", Phys. Rev. B 80, 035203 (2009).
関連ページ#
- 第一原理計算ソフトウェア Advance/PHASE
- 解析分野:ナノ・バイオ
- 産業分野:材料・化学