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Al合金中Al3Sc析出物の腐食耐性メカニズム:水素発生能と酸素吸着の競合解析#

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アルミニウム合金の強度向上に寄与するスカンジウム(Sc)は、母相中にAl3Sc金属間化合物を形成します。一般に、母相よりも貴な電位を持つ析出物は、局部電池のカソードとして水素発生反応(HER)を促進するため、母相の腐食を加速させる要因となります。しかし、実験的にはAl3Scは良好な耐食性を示すことが知られています。本解析では、第一原理計算ソフトウェアAdvance/PHASEを用い、Al3Sc表面における水素(H)および酸素(O)の吸着エネルギーを計算します。計算結果から、Al3Scが潜在的に高いHER活性を持ちながらも、現実環境では酸素吸着による表面被覆(不動態化)が優先し、腐食反応が抑制されるメカニズムを明らかにします。

Keywords: 第一原理計算, DFTシミュレーション, 腐食解析, Al3Sc, 水素発生反応(HER), 酸素還元反応(ORR), 吸着エネルギー, 不動態化, Nørskovモデル

計算モデルと計算条件#

1. バルク構造の最適化#

表面モデルの作成に先立ち、Al3Scバルク結晶(L12構造)の構造最適化をRPBE交換相関汎関数で行いました。全エネルギーの体積依存性(E-V曲線)をMurnaghanの状態方程式でフィッティングすることで、安定な格子定数を算出しました(図1)。

Al3ScのE-V曲線
図1. Al3ScバルクのE-V曲線および最適化された結晶構造(挿入図)。Vは慣用セルの体積です。算出された平衡格子定数 = 4.12 Å は、実験値や過去の計算値と良く一致しています。

2. 表面スラブモデル#

得られた最適格子定数を用いて、Al3Scの(111)面スラブモデルを作成しました(図2)。

Al3Sc(111) 計算モデル
図2. 計算モデル。 (左) Al3Sc(111)面上の高対称性サイト。 (右) Al3Sc(111) 1x1 4層スラブモデル。底面2層(stick表示)を固定しています。

モデルは1x1のセルサイズで4層構造とし、底面2層を固定して構造最適化を行いました。表面上のfccホローサイト等の高対称点に対し、水素原子(H)または酸素原子(O)を吸着させ評価しました。

表1. 計算条件の概要

項目 設定
モデル構造 Al3Sc(111) 1x1 4層スラブ(底面2層固定)
擬ポテンシャル ウルトラソフト型 (Al, H: ノルム保存型)
交換相関汎関数 GGA (RPBE)
波動関数のカットオフエネルギー 35 Rydberg
k点サンプリング 5x5x1 (スラブ表面)
エネルギー基準 計算水素電極(CHE)モデル [1]

計算手法の妥当性について#

本解析では、Nørskovらによって確立された手法(CHEモデル)を採用しています [1,2]。この手法は、白金(Pt)などの標準的な触媒物質との「相対比較」を行うことで、溶媒効果やスラブ設定に起因する系統誤差を相殺できる利点があります。例えば、本解析のAl3Sc(111) 1x1表面セルの面積は文献 [1,2] のPt(111) 2x2表面セルの面積に相当しており、原子1個吸着の場合、被覆率が同じく0.25になります。したがって、Volcano Plotの頂点付近に位置するPtと比較することで、Al3Scの触媒活性や吸着強度のトレンドを信頼性高く議論することが可能です。

計算結果:水素吸着と酸素吸着の競合#

1. 水素発生反応 (HER) の潜在能力#

まず、腐食の主要なカソード反応である水素発生反応(HER)の活性を評価しました(下記反応式参照、*は吸着サイト)。

水素吸着構造
図3. Al3Sc(111)表面上の水素吸着構造(上面図)。水素原子は、2個のAl原子と1個のSc原子が囲むfcc hollowサイトに吸着しています。

図3はAl3Sc(111)表面上の水素吸着構造を示しています。この吸着サイト(fcc hollow)がエネルギー的に最も安定であることは、文献 [3] のDFT計算によっても報告されており、本解析と一致しています。 水素吸着エネルギー()およびギブス自由エネルギー()は以下の通り算出されました。

  • 水素吸着エネルギー: eV
  • 水素吸着自由エネルギー: eV

参考として、文献 [3]ではPBE汎関数を用いた計算で、同サイトへの吸着エネルギーを eV と報告しています。一般にPBEはRPBEよりも吸着エネルギーを強く(負に大きく)見積もる傾向があるため値に差が生じていますが、どちらの汎関数でも負の値を示しており、Al3Sc表面への水素吸着が自発的かつ安定的であるという結論は一致しています。

一般に、 eV のとき、触媒活性は最大(Volcano Plotの頂点)となります。今回の計算結果(+0.003 eV)は、Al3Sc表面が白金(Pt)( eV)[2] と比較しても、理想的な水素発生能(カソード活性)を持っていることを示しています。

2. 酸素吸着による表面の安定化#

次に、実際の腐食環境(中性水溶液中)で起こりうる酸素吸着(初期酸化)の安定性を評価しました(下記反応式参照、*は吸着サイト)。

酸素吸着構造
図4. Al3Sc(111)表面上の酸素吸着構造(上面図)。酸素原子も水素同様、2個のAl原子と1個のSc原子が囲むfcc hollowサイトに吸着しています。

図4はAl3Sc(111)表面上の酸素吸着構造を示しています。酸素吸着エネルギー は、系の全エネルギー を用いて以下のように定義されます。

ここで、 および はそれぞれ酸素吸着表面と清浄表面の全エネルギー、 および は気相中の孤立分子のエネルギーを表します。算出された値は以下の通りです。

この値は、Ptの酸素吸着エネルギー(約 1.57 eV)[1] と比較しても非常に大きな負の値(強い結合)を示しています。Nørskovモデルに基づけば、Volcano Plotの強吸着側に大きく外れていることを意味し、これは表面が酸素によって強固に被覆(被毒)されることを示唆します。

考察:なぜAl3Scは腐食しないのか?#

本解析の結果から、Al3Scの腐食メカニズムについて以下の結論が得られました。

  1. 潜在的な高活性: Al3Scのバルク(金属)状態は、理論上 eV という極めて高いHER活性を秘めています。
  2. 不可逆的な表面被覆: しかし、酸素吸着エネルギーが と極めて低い値(強い結合)を示しました。Ptと比較しても酸素との親和性が圧倒的に高く、水溶液中では表面が即座に酸素(あるいは酸化物)によって覆われます。
  3. 「鎧」による保護(不動態化): この強固な酸素吸着層が、初期的な不動態皮膜の形成あるいは反応サイトのブロック(被毒)として機能し、あたかも「原子レベルの鎧(armor)」となって表面を隙間なく保護します。Nørskovらの触媒理論に基づくと、強すぎる吸着はH+の接近や電子移動を阻害するため、結果としてAl3Scは潜在的に高い活性を持ちながらも、現実環境では腐食反応が抑制されると考えられます(図5)。

Al3Sc表面における水素発生と酸素被毒のメカニズム模式図
図5. Al3Sc表面における反応選択性を示す模式図。(左) 理想表面では水素発生が速いと予想されます。(右) 現実環境では酸素が強吸着し、表面を不活性化(不動態化)させます。※原子配置は模式的なものです。

まとめ#

本解析は、第一原理計算ソフトウェアAdvance/PHASEを用いて、Al合金中のAl3Sc析出物の腐食挙動を解析しました。バルク構造最適化から求めた格子定数に基づき、NørskovらのCHEモデルを用いて表面吸着特性を評価しました。 計算の結果、Al3Scは熱力学的に水素発生反応(HER)に対して非常に高い活性( eV)を持つものの、酸素原子との結合が極めて強い(Ptよりもさらに強い吸着を示す)ために表面が不動態化し、結果として腐食反応が抑制されることが明らかになりました。この結論は、「Al3Scは電気化学的に不活性である」とするCavanaughら [4] の実験報告を、原子スケールの視点から理論的に裏付けるものです。

参考文献#

  1. J. K. Nørskov, J. Rossmeisl, A. Logadottir, L. Lindqvist, J. R. Kitchin, T. Bligaard, and H. Jónsson, "Origin of the overpotential for oxygen reduction at a fuel-cell cathode", J. Phys. Chem. B 108, 17886 (2004).
  2. J. K. Nørskov, T. Bligaard, A. Logadottir, J. R. Kitchin, J. G. Chen, S. Pandelov, and U. Stimming, "Trends in the exchange current for hydrogen evolution", Journal of The Electrochemical Society 152, J23 (2005).
  3. Y. Liu, X. Zhang, Z. Xiao, and Y. Huang, "Hydrogen adsorption on L12-Al3X(X=Zr, Sc) surface and its diffusion in the bulk: A first-principles study", Vacuum 182, 109680 (2020).
  4. M. K. Cavanaugh, N. Birbilis, R. G. Buchheit, and F. Bovard, "Investigating localized corrosion susceptibility arising from Sc containing intermetallic Al3Sc in high strength Al-alloys", Scripta Materialia 56, 995 (2007).

関連ページ#