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電子銃陰極材料LaB6の表面エネルギー計算:表面終端と化学ポテンシャル#

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六ホウ化ランタン(LaB6)は、低い仕事関数と高い融点を持つことから、電子顕微鏡や半導体露光装置の高性能な熱電子放出源(電子銃カソード)として広く利用されています。 化合物の表面物性は、単体金属とは異なり、最表面に露出する元素(表面終端)の種類や、材料が合成・熱処理される際の環境(化学ポテンシャル)に強く依存します。本解析では、第一原理計算ソフトウェアAdvance/PHASEを用い、第一原理熱力学(ab initio thermodynamics)のアプローチと高精度な線形フィッティング法を組み合わせることで、LaB6(001)表面におけるLa終端とB6終端の安定性を、化学ポテンシャルの関数として厳密に評価しました。

Keywords: 第一原理計算, DFTシミュレーション, 表面エネルギー, LaB6, 化学ポテンシャル, 表面終端, 線形フィッティング法, 非化学量論的(Non-stoichiometric)

計算方法と理論的背景#

化合物の表面エネルギーと化学ポテンシャル#

LaB6のような化合物の表面エネルギー は、構成元素の化学ポテンシャル( および )に依存して変化します。 表面エネルギーは以下の式で定義されます。

ここで、表面がバルク(内部)と熱力学的に平衡状態にあるという制約()を用いると、独立変数は の1つに帰着します。 の取り得る範囲は、La単体の析出限界(: La-rich限界)から、B単体の析出限界(: B-rich限界)までに制限されます( はLaB6の形成エネルギー)。

なお、本解析のLa終端やB6終端のように、スラブ全体の原子数比がバルクと異なる『非化学量論的』な表面の場合、表面エネルギーは化学ポテンシャルに依存して変化します。一方、スラブがバルクと同じ組成比を持つ「化学量論的」な表面であれば、化学ポテンシャルの項が完全に相殺されるため、表面エネルギーは環境に依存しない一定値となります。

線形フィッティング法による高精度化#

スラブ計算には量子サイズ効果などの数値ノイズが含まれるため、単純なバルクエネルギーとの差分では表面エネルギーが層数に対して収束しにくいという課題があります [1]。これを解決するため、本解析では文献 [2] で提唱した線形フィッティング法を採用しました。この手法では、対称スラブを構成するLaB6の基本ユニット数()に対して、スラブの全エネルギー()が以下のような一次関数で表されることを利用します。

【La終端モデルの場合】 ()

【B6終端モデルの場合】 ()

ここで、 は表面積です。複数の層数()でスラブ計算を行い、横軸に 、縦軸に をプロットして線形回帰分析を行うと、直線の「傾き」からバルクエネルギー()が、そして直線の「切片( の外挿値)」から層数依存性(量子サイズ効果)を排除した表面エネルギー()が、それぞれ独立かつ高精度に抽出できます。

計算モデルと計算条件#

バルク状態方程式(EOS)の評価#

スラブ計算の前提として、金属条件を設定したLaB6バルクのEOS(状態方程式)計算を実施しました(図1)。滑らかなエネルギー-体積曲線が得られ、フィッティングから格子定数 4.1486 Å、体積弾性率 175.5 GPa という基本物性値が算出されました。スラブモデルには、この最適化された格子定数を使用しています。

LaB6バルクのEOS計算結果
図1. LaB6バルクのEOS計算結果(挿図は単位胞構造)。

表面スラブモデルの構築#

LaB6(001)表面には、La原子が最表面にくる「La終端」と、ホウ素の八面体が最表面にくる「B6終端」の2つのモデルが存在します(図2)。 人工的な双極子モーメントを排除するため、La層とB6層が交互に積層した上下対称なスラブモデル(5層、7層、9層、11層)を作成しました。各モデルにおいて、バルクの性質を維持するためにスラブ中心部の層(図2の半透明原子)を固定し、表面側の原子を可動として構造最適化を行いました。また、化学ポテンシャルの基準点として、La単体(dhcp構造)およびB単体(-菱面体晶)の計算(いずれも格子定数の最適化を含む構造最適化)も実施しました。

LaB6(001)の11層スラブモデル
図2. LaB6(001)の11層スラブモデルの初期構造(上:La終端、下:B6終端)。スラブ中心部の半透明で示された原子は、構造最適化時に座標が固定(Fix)される層を表しています。

表1. 計算条件の概要

項目 設定
擬ポテンシャル ノルム保存擬ポテンシャル
交換相関汎関数 GGA (PBE)
波動関数のカットオフエネルギー 25 Rydberg (約340 eV)
k点サンプリング バルク:8x8x8
スラブ:8x8x1
電子状態計算 金属条件

計算結果と考察#

スラブ全エネルギーの線形回帰分析#

図3に、La終端およびB6終端モデルにおけるスラブ全エネルギーの層数依存性(5, 7, 9, 11層)と、その線形回帰分析の結果を示します。両終端モデルともに決定係数 という非常に良好な直線性を示しました。これは、Advance/PHASEを用いた本計算設定が、構造の対称性維持とエネルギー収束において高い精度を達成していることを示しています。

linear fit for La termination

linear fit for B6 termination
図3. LaB6(001)スラブモデルの全エネルギーと層数の線形関係。上:La終端、下:B6終端。

表面エネルギー相図(化学ポテンシャル依存性)#

線形フィッティングの切片から得られた表面エネルギーを用い、La化学ポテンシャル()の関数として表面エネルギー相図をプロットした結果を図4に示します。

LaB6表面エネルギー相図
図4. LaB6(001)表面の化学ポテンシャルと表面エネルギーの相図。

表2. 極限条件における表面エネルギー (単位: J/m2)

環境条件 La終端 B6終端 安定な終端面
La-rich限界 () 0.814 4.263 La終端
B-rich限界 () 2.639 2.438 B6終端

実験結果との比較・考察:

図4および表2から明らかなように、利用可能な化学ポテンシャル領域の大部分において、La終端面がB6終端面よりも圧倒的に低い表面エネルギーを持ち、熱力学的に安定であることが示されました。B6終端面が安定となるのは、極端なホウ素過剰環境(B-rich限界の近傍)のみです。

この結果は、実際の実験事実とも一致しています。厳密には、高温真空下での動作環境は蒸発や拡散を伴う複雑な非平衡状態にあります。しかし、高温によって原子の再配列が促進されると、系は表面エネルギーを最小化するように振る舞います。本計算が示す通り、La終端面はエネルギーが相対的に低いため、熱力学的な駆動力によってLaが最表面に偏析(セグリゲーション)し、安定な層を形成・維持しようとします。したがって、局所的な最表面の環境は、図4の相図において一番右端の「La-rich 限界()」に近い状態として近似できると解釈できます。

このLa-rich限界において、La終端の表面エネルギーは 0.814 J/m2 と圧倒的に低く安定化します。実際、Nishitaniらによる表面分析実験 [3] でも、(001)面の最表面層がLa原子で構成されていることが明確に確認されています。本解析によって得られた「La終端の圧倒的な熱力学的安定性」は、LaB6がなぜ優れた低仕事関数カソードとして機能するのか(最表面のLaイオンが強力な電気双極子層を形成するため)を理論的に裏付けるものです [4]。

まとめ#

本事例では、第一原理計算ソフトウェアAdvance/PHASEのDFT計算と第一原理熱力学の手法を用い、電子銃カソード材料LaB6の(001)表面における安定性を評価しました。線形フィッティング法を適用することで、量子サイズ効果を排除した高精度な表面エネルギーとバルクエネルギーを分離しました。得られた表面エネルギー相図は、実験環境下で広く観察される「La終端面の高い安定性」を理論的に裏付けるものであり、第一原理計算が複雑な化合物の表面構造と熱力学的性質を予測する上で有効であることを示しています。

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参考文献#

  1. J. C. Boettger, "Nonconvergence of surface energies obtained from thin-film calculations", Phys. Rev. B 49, 16798 (1994).
  2. V. Fiorentini and M. Methfessel, "Extracting convergent surface energies from slab calculations", J. Phys.: Condens. Matter 8, 6525 (1996).
  3. R. Nishitani, M. Aono, T. Tanaka, C. Oshima, S. Kawai, H. Iwasaki, and S. Nakamura, "Surface structures and work functions of the LaB6 (100), (110) and (111) clean surfaces", Surf. Sci. 93, 535 (1980).
  4. M. A. Uijttewaal, G. A. de Wijs, and R. A. de Groot, "Ab initio and work function and surface energy anisotropy of LaB6", J. Phys. Chem. B 110, 18459 (2006).

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